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もう名残のふぐ (阿じ与志 広島県福山市)

もう三月です。阿じ与志の河豚も今月でおしまい。10月まで会えません。
モンテーニュのエセーに次のようなお言葉があります。

今朝あった食欲が夕食のときにまた出ると、誰が私に請け負ってくれるだろうか。とくに老人は好機が来たら、すぐにそれを捕えようではないか
これをモットーにしているワタシは、阿じ与志の名残のふぐを食べずして、
今月を無為に過ごしていいのでしょうか? いざゆかむ。阿じ与志へ!

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土筆料理 (阿じ与志 広島県福山市)

つき出しがでました。なんと三月の初旬に、もう土筆(つくし)です!

子供のころ、春になると芦田川の土手で夢中になって採ったものです。
ばあさんが、それを茹でてから佃煮にしたのですが、苦いだけだった。

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■阿じ与志 土筆料理 土筆の煮物

この土筆は、ちっとも苦くなく、ふっくら柔らかく煮てあります。
プロが料理するとこうなるという見本です。さすが。

春を告げる料理ですが、どこのものかは聞き洩らしました。

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ふぐ白子豆腐 (阿じ与志 広島県福山市)

続いて茶碗がだされました。中をのぞくと、ちょっと変ってました。

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■阿じ与志 ふぐ白子料理 とらふぐの白子豆腐

この料理。画像ではわかりにくいと思いますので説明します。
茶碗蒸し風に白子豆腐をつくってあります。その上に、アワビ、そらまめ、
それに、トロっとしたたれをかけた雲丹がのっけてあります。

う~ん。白子豆腐が主役なのですが、縁の下の力持ちになってますから、
具のほうに気をとられて食べていると、白子とは気がつかないと思います。
とても珍しいものですから、油断してちゃもったいないですね。


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名残のふぐ白子 (阿じ与志 広島県福山市)

阿じ与志のふぐ白子は、2月にはもう掌からはみだすほど大きくなっています。
大きな白子を輪切りにし、塩をふってから焼くのが白子の塩焼きです。

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■阿じ与志 ふぐ白子料理 とらふぐの白子塩焼き

本日の白子は端のほうで小さいですけど、焼き加減がとてもきれいです。

焼き加減といえば、今年アカデミー賞をとった日本映画「おくりびと」のなかで、
極めつけのセリフにふさわしい、至極の食い物として使われてました。
白子を金網の上で焼き、手にとってふうふうしながら食べるシーンです。
(どうやら、ウズラの卵大の小さな白子の感じでしたけど・・・・・・・・・)

あのう~。山崎さん。ちょっと焼きすぎではないでしょうか?
阿じ与志のように表面だけをパリッと焼いて、中はとろ~っとしたクリーム状なら、
かじったとたん、熱いクリームが飛び出してくるでしょう。

焼きすぎるとどうなるか確かめたわけではありませんが、おそらく、白子豆腐のようか、
ゆで卵の白身状になるのではないでしょうか。(タンパク質のゲル化というのかな?)
これならどうにか手に持って食べられます。

好みの問題といえばそれまでですけど、気になります。
名残りのふぐ白子の話が脱線してしまいました。

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なごりの「てっさ」 (阿じ与志 広島県福山市)

3月はもうなごりのフグです。
では、はしりのふぐ、さかりのふぐと味は違うのか?
と、聞かれても、ワタシにはまったくわかりません。でも、こうはいえます。

時季なら、いつ食べても、なんど食べても美味い。それが阿じ与志のふぐ!

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■阿じ与志 なごりのとらふぐ ふぐ刺し(てっさ)

魚の刺身はたくさん種類があり、白身魚だけでも数えきれないほどですが、
ふぐ刺しには独自のものがあって、他では到底えられない美味しさがあります。
最大の魅力は、弾力のあるかみ心地だ、とは誰しも認めるところです。でも、それは、
優美とさえ思える、なめらかで、ほのかに甘みのある身質があってこそですね。

てっさを食べるたびに、「とろける。こってり」ばかりを美味しいと感じるような
単純で貧困な味覚の持ち主が、とても可哀そうに思えます。

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名残のふぐ中落ち (阿じ与志 広島県福山市)

阿じ与志のふぐ料理に、ふぐの中落ちというのがあります。
中落ちとは骨付きの切り身のことで、ちり鍋の皿に盛り付けられているあれです。
ふぐの中落ちは、この切り身を鍋で煮るのではなく、塩焼きにする料理です。

塩焼きは、ふぐの中落ちの格別なおいしさを味わうことができます。
ただし、それには焼きたてを、熱いうちにほうばる必要があります。

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■阿じ与志のふぐ料理 ふぐの中落ち塩焼き

焼くとなぜうまいのか? ワタシなりに科学してみました。

◎香ばしい香りがいい。魚に含まれるタンパク質や糖分や脂分などは、加熱され、
150~180度になると化学反応をおこし、いい香りがでるそうです。
塩焼きの中落ちは、醤油をこがしたような食欲をそそる香りがします。

◎旨みが閉じ込められている。高温で加熱すると、骨まわりのコラーゲンがとけだし、
身に浸みこみます。表面はパリッとしているので、ましたうま味は閉じ込められている。

(注)コラーゲンは正確には50度以上でとけだし、ゼラチンゾルになるそうですが、
ちり鍋の場合は、熱が芯まで伝わりにくいので、骨まわりだけでゼラチン化し、
身のほうまで溶け出していないように思えます。

・・・う~ん。こんな説明は理屈っぽくて、ちっとも美味しそうに感じませんね。
こんがりきつね色して、旨そうに焼けた画像だけのほうがよかったかも?


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名残のふぐちり鍋 (阿じ与志 広島県福山市)

名残のふぐを味わう今晩のメインデッシュは、なんといってもふぐちり鍋です。

中落ちの旨さだけを競うなら、鍋より塩焼きが上手のように思えますが、
どうして、ふぐちり鍋には料理として、他では得難い魅力があります。

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■阿じ与志のふぐ料理 ふぐちり鍋

ちり鍋の魅力は、中落ちのおいしさを、ゆっくりマイペースで楽しめることです。
(塩焼きは焼きたてじゃないとね。話なんかしてられませんから!)

鍋で煮ると、ふぐのうまみが汁にとられますが、気にするほどのことはありません。
少しくらい出汁としてくれてやっても、痩せるようなか細い中落ちではありません。
ぶっとい骨の周りにたっぷりついたゼラチンも、しっかりしゃぶりとって食べます。

中落ちの出汁は最高に美味しい。これは塩焼きでは味わえません。
さっと通して食べる春菊は、出汁をすっていて、ワタシのお好みです。
出汁で作るふぐの雑炊は、ちり鍋を食べた人だけの特権です。

というわけで、総合力でふぐちり鍋の優位は揺るぎないですね。

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金柑たまたま・徳谷トマト (阿じ与志 広島県福山市)

ふぐちり鍋を食べたあとも、まだ楽しみが残っています。
とびきりの出汁を使ったふぐ雑炊か、ふぐ茶漬けです。

これを食わなきゃ、何のために鍋を食べたかわからない。といっても許されます。
今晩は、名残のふぐをたっぷり味わうことができました。もう思い残すことはない!

おっと、今晩はデザートがでましたよ。

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阿じ与志 時季のデザート 金柑たまたま・徳谷トマト

近頃の宮崎県は好感度大幅アップですね。東知事の涙ぐましいPRぶりはすばらしい。
この金柑たまたまだって、昔からあったものなのでしょうけど、広告宣伝費無料で、
あっというまに知れわたり、一流ブランドになりました。

徳谷トマトだって、一昔前ならこんなのトマトじゃないと、流通に乗らない野菜ですが、
際立った特徴があれば、価値を認める消費者が増えました。ネットの力も大きい。

とても甘い、宮崎の金柑たまたまと、高知の徳谷トマトを食べながら思いました。

もう量を追う時代じゃありません。質を国際的に競う時代です。ああそれなのに・・
尊敬されるような政治家不在。不況ネタであおり、ますます不況にするマスコミ。
金持ちのはずなのに、若者に夢を与えない日本という国。なんとかして!

非力ながら、阿じ与志のブログはこれからも断固、リッチ路線を守ります。

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ロブションの料理哲学

今、世界でトップに立つ料理人といえば、ジョエル・ロブションでしょう。
彼が自らの全てを語るロブション自伝(中公文庫BIBLO)を読みました。

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▼ロブションかく語りき。

おいしい料理は、完璧な素材からしか生まれない。これは絶対的な原則で、これに背いたことはありませんし、今日の大料理人で、これに従わない人を知りません。・・・・・・・質のよい素材を見つけることは、すでに大変なことなのですが、規則的にそれを手に入れることは、さらに厳しい。

私の場合、まずは素材からひらめきます。素材に応じて、料理を練ります。・・・・・・・・・優れた素材が手に入らなかったら、何もする気がしません。素材から料理を作り上げるからです。

料理は、お客の味覚に従って進化する。それは確かです。だからといって、私は、お客から影響を受けて料理を作ったことはありません。近年、私は料理を変えました。しかしそれは、お客のためというよりも、素材に従って変化させたのです。

素人のお客がこのような料理を味わったら、とてもシンプルな、あるいはおそらく平凡な料理と思うでしょう。調理の過程を理解し、気の遠くなるほどの仕事量に気づき、緻密さを認識するのには、相当の感性をもっていなければなりません。こうしたタイプの料理には、多くの気配りと、途方もないくらいの正確さが要求されます。こうした正確さは、皿の上の料理が、簡単で、美味しそうだという、そうあるべき姿に見せるために施されるものなのです。

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