「行列のできる店の真実とはこんなものだろうな」と納得したコラムがありました。
ジェフリー・スタインガーテンという米国のユニークな料理評論家が書いた「やっぱり美味しいものが好き」という本の中の「行列のできる店」というタイトルのコラムです。著者は料理店にはすべて(匿名で)予約してから出かける主義のようです。(高級店や有名店なら常識ですね)しかし予約を受付けない繁盛店もあるそうで、そんな店に行列覚悟で突撃した顛末記です。
以下はサワリの引用ですが、この本の面白さも伝わるでしょうか?
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第一目標はスーパー・スシ(仮名)でのディナーだ。マンハッタンのダウンタウン、ハウストンのすぐ北のむさ苦しい通りにある小さな店である。この店の前にはいつも長い行列が出来ていて、前から不思議に思っていたのだ。(中略)
私と友人は5時5分過ぎに着いた。何分も待たずに極上の寿司が食べられるものと期待しながら。ところが、予想に反して、事態は信じがたいほどひどいことになっていた。空きっ腹を抱え大勢の客がスーパー・スシに詰めかけ、長蛇の行列を作っていたのだ。数えてみると30人はいた。(中略)
人はなぜ、貴重な時間を無駄にしてまで行列に並ぶのだろうか?それより、なにより、夕方の5時に生の魚を食べたがる人がこんなにいるとは!もっとほかにすべきことありそうなものなのに。1時間ほど残業をして仕事を片付け、それからアップタウンに4軒か5軒ある本当に旨い寿司を食わせる店に予約を入れるという手だってあるじゃないか。もしかしたら仕事がないのかも。ひょっとして、みんな失業者?(中略)
「人がわざわざ行列を作りたがるのは、そうすれば不可思議な作用で経験の価値を高められるだ、それも、お金をかけずにね」、と友人は看破した。(中略)
1時間後、私たちは(行列の)まわりの人たちとおしゃべりを始めていた。驚いたことに、行列にならんでいる人達の少なくとも半数は始めてだそうで、友人やガイドブックの勧めで来たという(あるガイドブックは、このスーパー・スシを「寿司の楽園」と評し、ランクではルテスと同じ高得点をつけているそうだ)。私たちの前はコロラド在住だという。私は彼らにツーリストがコロラドのわが家にじっとしていれば、生粋のニューヨーカーが行列に並んだりしなくていいのにといった。(中略)
私と友人はこれまで待った115分を諦めて、見切りをつけるべきかどうか相談した。友人は反対だった。行列に日本人が大勢並んでいることからして、旨い飯にありつける公算が大だというのだ。私のほうは、本国で高級な寿司を食べられる日本人はそういないのだから、比較の基準にはならないと反論した。やがて、私たちが到着してからおよそ2時間になろうという時、8人の客がいっぺんに席を立ち、私たちは厨房に続くドアのそばのせせこましい隅のテーブルに案内された。
4種類の前菜~なまのものと火を通したもの~に加え、友人は寿司、私は刺身を注文した。料理はすぐ来た。最初は控え目にかじり、次にがぶりと食いつき、それから一気に二口かぶりついた。そこでショックのあまり箸がとまった。これまで食べた中で最低の日本料理だ。新鮮とはほど遠い魚の締まりのない巨大な切身。室温以上に温まった、ぬるぬるの生魚など、嫌悪というほかないではないか?繊維がほぐれてぼろぼろになっていたらどうだ?
1時間どころか2時間も行列に並ばされたせいで、客たちは世にもひどい食べ物をニューヨークでベストの寿司と勘違いしてしまったのだろうか?それとも私のほうが変なのか?
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ワタクシも最近、京都の行列ができる店にガッカリしたところですが、
ニューヨークも東京も京都も、世界中の観光地はどこも同じようです。
「行列のできる店」は、常連さんの行列か確かめたほうがよさそう?
ならぶのが好きな方には、夢をこわすような話でスミマセン!
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